ハワイ・ワイキキの中心にあるライブも楽しめる人気のおすすめレストラン ジミー・バフェット アット ザ ビーチコマ-

ハワイ・ワイキキの中心にあるライブも楽しめる人気のおすすめレストラン ジミー・バフェット アット ザ ビーチコマ-

レストランについて

ジミー・バフェットってどんな人?

1946年、アメリカ、ミシシッピー州生まれ。本国アメリカで絶大な人気を誇るミュージシャン。自分の音楽を介して、暮らしの中に海とゆとりのあるライフ・スタイル、『アイランド・エスケィピズム』を提唱する第一人者。また、ミュージシャンだけでなく、実業家、作家、俳優、映画監督、慈善事業家としての顔も持つ。

ミュージシャンとしてのキャリアは、1960年頃にテネシー州ナッシュヴィルにて始まる。ナッシュヴィルと聞いて、音楽ファンならすぐに“カントリー・ミュージック”を想像するかもしれない。しかしジミー本人は、自分はカントリー・ミュージシャンではないと言う。それなのに、何故ナッシュヴィルで過ごしたのかを尋ねると、「ニューオリンズで仕事をしていた頃、本気で音楽で成功したいと思っていた。幸運な事に、たまたま音楽関係に知り合いが多い友人が僕のアルバムを聞いて、ナッシュヴィルに住む彼のツテを紹介してくれたんだ。そうしたら、それと同時にカリフォルニアにも僕の音楽に興味を持ってくれる人も現れた。けれど当時の僕には、カリフォルニアに引っ越すだけのお金が無かったんだ。だから、ナシュヴィルに引っ越す事に決めたのさ。」とジミーは語る。

しかし、『ビルボード』誌で働きながらレコーディング活動を続けたが、カントリー・ミュージックの街、ナッシュヴィルでジミーの音楽がヒットをすることは無かった。「当時、皆ナッシュヴィルの音楽はカントリーだけだと思い込んでいたから、僕もカントリー・シンガーだと期待されていたんだよ。」結局、ナシュヴィルでは思うような音楽活動が出来ず、フロリダ州キーウエストに移り住んだ。その理由も「ビーチに戻りたかったから。」と話すジミー。

キーウエストに拠点を移してからは、カントリー、フォーク、ポップ音楽を組み合わせたサウンドに、楽しくてポジティブな歌詞を付けた楽曲作りに専念。そしてこの頃に、『Coral Reefer Band』を結成し、『Jimmy Buffett & CoralReefers』としての活動をスタートさせた。そしてついに、1977年にリリースされたアルバム『Changes in Latitudes, Changes in Attitudes』の挿入楽曲『Margaritaville』が大ヒット。それから先の活動は、アルバムをリリースする度にヒットが出るという幸運に恵まれ、『アイランド・エスケィピズム』をテーマにしたジミーのコンサート・ツアーはスタジアム級の規模に拡大するほどの人気に発展した。

運気に乗るように、2003年、カントリー・シンガーのアラン・ジャクソンとデュエットした『It’s Five O’clock Somewhere』が、ビルボード・チャートの『ホット・カントリー・ソング部門』で、通算8週間に渡り第一位の座を獲得、また、『アメリカン・ホット100』チャートでは第17位に輝いた。さらに、この楽曲でカントリー・ミュージック協会賞の『ボーカル・イヴェント・オブ・ジ・イヤー賞』を受賞。続く2004年にリリースしたアルバム『License toChill』は、リリース第一週目で、約24万枚のセールスを記録し(NielsenSoundscanより)、『ビルボード200』チャートで初登場第一位という快挙を果たした。

また、ジミーは独自のラジオ局『ラジオ・マルガリータヴィル』を所有しており、フロリダ州オーランドにあるマルガリータヴィル・レストランを拠点に、同局のウエブサイトよりジミー・バフェットの世界を大勢のファン向けに発信している。さらに2005年にアメリカのサテライト・ラジオ局 Siriusと、そして2008年に、やはりアメリカのサテライト・ラジオ局のXM と提携し、その放送の幅を拡大。自身のコンサートの模様をほぼ毎回ライブで放送している。

ジミーは作家としても有名で、ベストセラー作品として、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・フィクション欄に7ヶ月連続チャート・インした『Talesfrom Margaritaville』や『Where Is Joe Merchans?』がある。『Pirate LooksAt Fifty』は、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・ノンフィクション欄で、堂々の初登場1位に輝いた。その他にも、娘と一緒に書いた「The Jolly」や「Trouble Dolls」などの子供向けの本もある。2006年より映画界にも進出。ウィル・シュライナー監督と、映画『Hoot』の共同制作を行なう。同映画のサウンドトラックを手がけた他に、教師役で俳優としても参加している。

その他の活動として、 慈善事業家として多くのチャリティー活動を行なっていることでも知られている。1981年、ジミーと、当時のフロリダ州知事、ボブ・グラハム州知事は、非営利団体「The Save the Manatee Club」を設立。世界中のマナティーを救う運動を斡旋。1995年には、これもやはり非営利団体の「Singing for Change」を設立し、同年に行なわれたジミーのコンサート・ツアー、『ドミノ・カレッジ・ツアー』の収益金の一部を、恵まれない子供達を救う団体や観光保護団体に寄付。2004年には、ハリケーンで大きな被害を受けた、フロリダ州、アラバマ州、カリブ諸島を救済するためのチャリティーコンサートを開催した。その後、2008年にも香港にて海外特派員協会のためのチャリティー・イヴェントを行う。チケットは即日完売し、約630万ドルを集めた。さらに、もっと身近なチャリティー活動に関して言えば、ジミーには巨大なファンクラブ『パロットヘッズ・クラブ』があり、同団体の主な活動内容の一つがチャリティー運動にある。ジミーが直接活動に関わらなくとも、各州に存在する同団体の奉仕活動は活発的に行なわれている。

実業家としてのキャリアは、1985年にレストラン『Margaritaville』第一号店をフロリダ州キーウエストにオープンした事から始まり、以後、2009年までに、全米を中心にカリブ諸島、メキシコに全9件のレストラン・チェーン・ビジネスを展開。特に、自社製ビール『LandShark/ランドシャーク』は、全レストランで販売され、NFLの名門マイアミ・ドルフィンズの本拠地スタジアムの名称としても使用されている。

そして2009年2月、ついに、ハワイ州オアフ島ワイキキに、待望の「JimmyBuffett at the Beachcomber」レストランをオープン。サーフィンが大好きでハワイをこよなく愛するジミーの、「いつかハワイにレストランを...」という長年の夢が叶えられた。これを機に、彼がハワイを訪れるチャンスも多くなる事だろう。

数年前からヨーロッパでもコンサートを開くなど、活動の場を世界に広げつつあるジミー・バフェット。近々日本にも進出との噂も聞かれる。最近還暦を迎えたジミーだが、これからもまだまだ、ミュージシャン、実業家、作家、俳優、映画監督、そして慈善事業家として、多方面にわたる勢力的な活動と新たな挑戦は果てしなく続く。

ジミー・バフェットってどんな人?

1946年、アメリカ、ミシシッピー州生まれ。本国アメリカで絶大な人気を誇るミュージシャン。自分の音楽を介して、暮らしの中に海とゆとりのあるライフ・スタイル、『アイランド・エスケィピズム』を提唱する第一人者。また、ミュージシャンだけでなく、実業家、作家、俳優、映画監督、慈善事業家としての顔も持つ。

ミュージシャンとしてのキャリアは、1960年頃にテネシー州ナッシュヴィルにて始まる。ナッシュヴィルと聞いて、音楽ファンならすぐに“カントリー・ミュージック”を想像するかもしれない。しかしジミー本人は、自分はカントリー・ミュージシャンではないと言う。それなのに、何故ナッシュヴィルで過ごしたのかを尋ねると、「ニューオリンズで仕事をしていた頃、本気で音楽で成功したいと思っていた。幸運な事に、たまたま音楽関係に知り合いが多い友人が僕のアルバムを聞いて、ナッシュヴィルに住む彼のツテを紹介してくれたんだ。そうしたら、それと同時にカリフォルニアにも僕の音楽に興味を持ってくれる人も現れた。けれど当時の僕には、カリフォルニアに引っ越すだけのお金が無かったんだ。だから、ナシュヴィルに引っ越す事に決めたのさ。」とジミーは語る。

しかし、『ビルボード』誌で働きながらレコーディング活動を続けたが、カントリー・ミュージックの街、ナッシュヴィルでジミーの音楽がヒットをすることは無かった。「当時、皆ナッシュヴィルの音楽はカントリーだけだと思い込んでいたから、僕もカントリー・シンガーだと期待されていたんだよ。」結局、ナシュヴィルでは思うような音楽活動が出来ず、フロリダ州キーウエストに移り住んだ。その理由も「ビーチに戻りたかったから。」と話すジミー。

キーウエストに拠点を移してからは、カントリー、フォーク、ポップ音楽を組み合わせたサウンドに、楽しくてポジティブな歌詞を付けた楽曲作りに専念。そしてこの頃に、『Coral Reefer Band』を結成し、『Jimmy Buffett & CoralReefers』としての活動をスタートさせた。そしてついに、1977年にリリースされたアルバム『Changes in Latitudes, Changes in Attitudes』の挿入楽曲『Margaritaville』が大ヒット。それから先の活動は、アルバムをリリースする度にヒットが出るという幸運に恵まれ、『アイランド・エスケィピズム』をテーマにしたジミーのコンサート・ツアーはスタジアム級の規模に拡大するほどの人気に発展した。

運気に乗るように、2003年、カントリー・シンガーのアラン・ジャクソンとデュエットした『It’s Five O’clock Somewhere』が、ビルボード・チャートの『ホット・カントリー・ソング部門』で、通算8週間に渡り第一位の座を獲得、また、『アメリカン・ホット100』チャートでは第17位に輝いた。さらに、この楽曲でカントリー・ミュージック協会賞の『ボーカル・イヴェント・オブ・ジ・イヤー賞』を受賞。続く2004年にリリースしたアルバム『License toChill』は、リリース第一週目で、約24万枚のセールスを記録し(NielsenSoundscanより)、『ビルボード200』チャートで初登場第一位という快挙を果たした。

また、ジミーは独自のラジオ局『ラジオ・マルガリータヴィル』を所有しており、フロリダ州オーランドにあるマルガリータヴィル・レストランを拠点に、同局のウエブサイトよりジミー・バフェットの世界を大勢のファン向けに発信している。さらに2005年にアメリカのサテライト・ラジオ局 Siriusと、そして2008年に、やはりアメリカのサテライト・ラジオ局のXM と提携し、その放送の幅を拡大。自身のコンサートの模様をほぼ毎回ライブで放送している。

ジミーは作家としても有名で、ベストセラー作品として、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・フィクション欄に7ヶ月連続チャート・インした『Talesfrom Margaritaville』や『Where Is Joe Merchans?』がある。『Pirate LooksAt Fifty』は、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・ノンフィクション欄で、堂々の初登場1位に輝いた。その他にも、娘と一緒に書いた「The Jolly」や「Trouble Dolls」などの子供向けの本もある。2006年より映画界にも進出。ウィル・シュライナー監督と、映画『Hoot』の共同制作を行なう。同映画のサウンドトラックを手がけた他に、教師役で俳優としても参加している。

その他の活動として、 慈善事業家として多くのチャリティー活動を行なっていることでも知られている。1981年、ジミーと、当時のフロリダ州知事、ボブ・グラハム州知事は、非営利団体「The Save the Manatee Club」を設立。世界中のマナティーを救う運動を斡旋。1995年には、これもやはり非営利団体の「Singing for Change」を設立し、同年に行なわれたジミーのコンサート・ツアー、『ドミノ・カレッジ・ツアー』の収益金の一部を、恵まれない子供達を救う団体や観光保護団体に寄付。2004年には、ハリケーンで大きな被害を受けた、フロリダ州、アラバマ州、カリブ諸島を救済するためのチャリティーコンサートを開催した。その後、2008年にも香港にて海外特派員協会のためのチャリティー・イヴェントを行う。チケットは即日完売し、約630万ドルを集めた。さらに、もっと身近なチャリティー活動に関して言えば、ジミーには巨大なファンクラブ『パロットヘッズ・クラブ』があり、同団体の主な活動内容の一つがチャリティー運動にある。ジミーが直接活動に関わらなくとも、各州に存在する同団体の奉仕活動は活発的に行なわれている。

実業家としてのキャリアは、1985年にレストラン『Margaritaville』第一号店をフロリダ州キーウエストにオープンした事から始まり、以後、2009年までに、全米を中心にカリブ諸島、メキシコに全9件のレストラン・チェーン・ビジネスを展開。特に、自社製ビール『LandShark/ランドシャーク』は、全レストランで販売され、NFLの名門マイアミ・ドルフィンズの本拠地スタジアムの名称としても使用されている。

そして2009年2月、ついに、ハワイ州オアフ島ワイキキに、待望の「JimmyBuffett at the Beachcomber」レストランをオープン。サーフィンが大好きでハワイをこよなく愛するジミーの、「いつかハワイにレストランを...」という長年の夢が叶えられた。これを機に、彼がハワイを訪れるチャンスも多くなる事だろう。

数年前からヨーロッパでもコンサートを開くなど、活動の場を世界に広げつつあるジミー・バフェット。近々日本にも進出との噂も聞かれる。最近還暦を迎えたジミーだが、これからもまだまだ、ミュージシャン、実業家、作家、俳優、映画監督、そして慈善事業家として、多方面にわたる勢力的な活動と新たな挑戦は果てしなく続く。